「弱者」ではない障がい者の方との出会い

1

下薗:日本聴導犬協会の聴導犬が保護犬出身という点が興味深いのですが、イギリスでのご経験が有馬先生に大きく影響したのでしょうか?

有馬:イギリスへ行く前、男女雇用機会均等法が制定されましたが、今考えられているほど、当時の私には女性が男性よりも下と見られているとは思えませんでした。ただ、女性は上は見えるけれど届かない、社長にはなれない「グラスシーリング(天井は見えるけれど手が届かない)」の時代ではありましたが、「女性が弱者」と呼ばれていることに反発を持っていました。そんな中でイギリスへ行った際、ある出会いが私を変えました。

下薗:どのような出会いだったのでしょうか。

有馬:「私は弱者ではない」と言うマーガレット・ハイジと出会ったのです。彼女は足に障がいのある紀行作家でした。「障がいのある方は大変、お手伝いをしてあげなければいけない存在」という意識が私の中にあったため、大変驚いたのです。深く話を聞くと、「社会が変われば私は障がい者ではなく、普通に歩け、普通にいろいろなお店に入ることができる。社会がバリアを改善しないのが悪い。私は弱者ではない」とマーガレットは常に言っていました。

下薗:なるほど。

有馬:たまたま出会ったマーガレットから、私も「なるほど」と気づいたのです。自分が悪いのでも弱いのでもなく、社会が変われば私たちはどんな人でも、マイノリティと呼ばれる人も平等にどんどん社会に進出できるようになるのだと教えてもらったのです。そんな中でライターとして、イギリスの聴導犬協会を取材させてもらうという機会が訪れました。

下薗:そのような貴重な出会いが有馬先生の人生に大きな変化をもたらしたのですね。現地の聴導犬協会ではどのような出会いがあったのですか?

1

有馬:実はイギリスに渡った当時、私の英語の発音がとても変で当初はなかなか友だちができなかったのです。後に考えると、「英語を学ぶにはシャーロック・ホームズやアガサ・クリスティを観なさい」と薦められて英語を勉強していたので、私が話す英語が古めかしかったからなのですね。学生なのに「~ざます」なんて口調で話すから友だちができない。くずれたこなれた英語を話す方々はすぐに友だちができていたのに。

下薗:ご本人は一生懸命に英語をがんばっていたのに、お辛かったですね…。

有馬:はい。たったこれだけでも当時の私は「差別」「弱い」「日本人」と感じてしまっていました。ところが聴導犬協会へ行くと、スタッフの方たちは耳の不自由な方々の言葉を聞きなれているため、私の話す英語を簡単に聴きとってくれる、合わせてくれるのです。妙な日本人の妙な英語を聴きとってくれたことに、「やさしい」と感じたことがこの仕事に携わるきっかけになりました。自分自身の劣等感や女性であること、無職の状態の心揺らいでいる時期に、聴導犬協会との関わりが私自身をとても支えてくれました。なにかあるときに私も誰かを支えてあげられることができれば、生きていく上で意義のあることなのでないかなと思ったのです。そして紆余曲折を経て、皆さまのご支援のおかげで日本聴導犬協会を設立することができました。

下薗:先生のお人柄があって、多くの方々が集まってくるのですね。私もその一人です。

有馬:私って、とても至らない、頼りなさそうな会長なんですが、みなさまのお力添えでここまでくることができました。

下薗:そんなことないですよ!とっても頼もしく誠実で、そして穏やかに包み込んでくださる有馬先生を心から尊敬している一人です。ことばのとおり、イギリスにいかれたことも聴導犬協会に取材に行ったことも、自然な流れの中で行われたことなのですね。

英国聴導犬協会
トニー・ブラント氏、Dr.フォーグルと。

英国聴導犬協会での研究風景

ADI理事会の風景

ADI 国際認定書

IAC