第9回

動物行動学が変えるこれからの動物医療
下薗 恵子 ×森 裕司教授(東京大学大学院農学生命科学研究科教授)
2009年7月1日

東京大学大学院にて動物行動学を研究されている森裕司教授は、日本の動物行動学における先駆者として、動物医療に新たなかたちで関わられています。森教授の考えられる行動学の重要性と、動物医療のこれからについて、お話を伺いました。

対談者プロフィール
森裕司森裕司(もり・ゆうじ)
1977年東京大学農学部卒業、1982年同大学院博士課程修了、東京農工大学・東京大学農学部助教授を経て1997年より現職。
専門は動物行動医学・神経行動科学。
日本獣医学会常任理事、獣医動物行動研究会会長、日本動物看護職協会会長なども務めている。

動物行動学の必要性

松本 壯志

下薗:日本ではまだ広くは認知されていない動物行動学ですが、動物に携わる人間にとっては、特に必要な基礎知識だと思っています。そこで行動学の第一人者である先生に、その魅力などを伺いたいです。

森:獣医学の基本は、解剖学であり生理学であり、それから行動学である、とおっしゃる臨床獣医師の先生がおられます。確かに動物に関わる人間すべてが身につけておくべき学問だなと、僕も思います。

下薗:動物心理学などとは、またちょっと違うのでしょうか。

森:心理学的な要素もありますが、心理学それ自体とても幅の広い分野ですから、ひとくくりにはできないですね。行動学は解剖学や生理学に比べて後出の学問なのですが、先駆者達が苦労して基礎を固め動物行動学という新たな学問領域の有意性を立証したんですね。進化の過程で環境に適応していった結果、動物の種によって違う生得的行動パターンが生まれ、それぞれの行動に理由もちゃんとあると気づいたんです。

下薗:なるほど。東大の動物医療センターの行動クリニックでは、やはり問題行動の相談が一番多いですか? 私どものスタッフのワンちゃんですが、皮膚疾患がどうしてもよくならないで悩んでいまして、カウンセリングを受けた際、親犬の性格や飼い主の生活行動まで全て調べて原因を探ったそうです。

森:そうですね。実際、心因性ストレスが皮膚疾患として現れるという症例はすごく多いんですよ。ですから米国の獣医大学などでは、皮膚科で原因を調べても分からない場合は、行動の方に回ってくる。もし問題行動が原因であれば、治療には補助的に向精神薬も使いますが、根底に潜んでいる心の問題を治してあげないと根本的な治療にはならないですよね。飼い主さんが気づかずよかれと思ってやっていることが、実はストレスの要因という場合も少なくないので、それを突き止めて環境を改善していく治療方針が基本です。

下薗:動物の治療だけではなく、飼い主さんへの指導もいっぱいあるのでしょうね。

森:そうですね。医療というのは、本来個体が持っている生命力、治癒力をどう引き出してやるかが重要なんです。問題行動の原因となる過度の不安や恐怖についても、情動反応をポジティブな方向に持っていけるように、日々の行動を組み立てていけば解消することが可能です。犬がそう思ってくれるかどうかは分からないけれど、飼い主さんを通じて前向きな気持ちにしてやれるといいなって思います。

松本 壯志

下薗:そういう犬の感受性の数字やデータっていうのは出ないものなのですか。よく、犬は動物の中でも特に感受性に優れているといいますけれども、数字で表されたものがあったら、見てみたいなと思うのです。

森:どうすればいいのかな、そういう研究はこれまであまり見たことないけど、今後の重要な研究課題でしょうね。実際、私たちの研究室でも犬の性格を科学的に分析する研究プロジェクトが進められています。

下薗:獣医師、看護師だけでなく、飼い主も行動学のあり方にうまく関わっていけると良いのですが。

森:動物行動学の知識や技術をうまく社会に活かしていく上で中心的な役割を果たしてくれるのは、看護師さんたちだろうと思ってるんです。獣医師は基本的に病気を相手にしなければなりませんから、患者である動物と向き合い、不安を軽減し自然治癒力を最大に引き出すために、飼い主と患者のメンタルケアを誰がするかというと、動物看護師なわけですね。そうなった時に行動学の基礎知識を正しく理解していれば、獣医師の力にもなれるし、動物看護師さん自身のやりがいにもつながります。飼い主さんに直接関わるのは動物看護師を始めとするスタッフですから、彼らがワクチン接種をはじめ様々な機会にうまくケアし良好な関係を築いておくことで、例えばワンちゃんが病院好きになって、いざ病気や怪我で来院したときも、患者がリラックスして治療に協力的に振る舞ってくれるようになる。そういう構図ができると、一番理想的だなって思うんです。

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